エッセイ

久留米との出会い

私と久留米との出会いは、ある中学校の同窓生の集いだった。40代半ばである彼らの屈託のない笑顔に、ふと、私自身の中学時代を重ね合わせてみた。

剣道部でレギュラーになれなかったときの悔しさ。好きな女の子に告白もできずに卒業したせつなさ。先生との対立の末、夜中に窓ガラスを割って歩いたことなど、同世代の多くの人々同様、中学時代は、自分自身では制御できないエネルギーが溢れている思春期の一時期だった。しかし、私の場合、自分の故郷になじめず、同窓生との連絡を進んで絶ってきた点が、彼らとは異なっていた。驚いたことに、彼らは久留米について愛情を込めて熱く語ったのだ。5時間も6時間も・・・。

それから私は、四季を通じてこの町に来る機会に恵まれた。故郷を同じくする者同士の連帯感。言葉にすると軽薄に聞こえてしまうフレーズが、訪れる度に次第に実感を伴って感じられ、いつの間にか、この町で映画を撮ってみたいと願うようになった。

久留米で出会った彼らは、奇しくも本作同様、大半が中学校野球部・剣道のチームメイトでもあった。技量の優劣、ポジション争いと挫折、上下関係、異性の視線・・・、私と同じように彼らも、大袈裟に言えば、スポーツを通して人生を学んできたのかも知れないと思った。

久留米の友人たちは、学校というコミュニティを同じくするとともに、筑後川と耳納連山に育まれた豊かな自然と長い歴史をもつ地域コミュニティの成員でもある。映画というものが舞台となる土地の空気感や光に影響を受けるのと同様、素朴で明るい彼らの気質もまた、この土地が生み出したものなのだろう。

この町を遠く離れた人は、スクリーン上に映る田園風景、商店街、鉄道・・・を目にするだけで、きっと胸が熱くなるのだろうと、そんなことを考えながら、昨年の春、彼らの母校のグラウンドに立ってみた。

気がつくと私は『卒業写真』という歌を口ずさんでいた。こうして、私たちの映画づくりがスタートしたのだ。

 

2006.6

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