エッセイ

いずれの森か青き海

「冬が近づくと、黒い渡り鳥がどこからともなくやって来る。そして、春になるといなくなる。でも、いなくなったことには誰も気づかない。 次の冬が来て、またこの鳥を見た時に、今までいなかったことに気づくのだ。」(映画『いずれの森か青き海』より)

僕は故郷である三重県四日市市を二十余年前に離れ、自分の故郷を改めて見直すことはなかった。遊び盛りの二十代は、自分自身がいかなる土地にも従属しない自由を持っているのだという幻想を抱いてもいた。

ところが、立ち去ったはずの故郷で、僕は一篇の映画を撮ることになった。

映画『いずれの森か青き海』・・・コンビナートに囲まれたまちで生まれ育った十六歳の少女の成長を描いた物語である。主人公・アオイは、幼い頃に母を亡くし、いつも“ここではないどこか”に逃げ出したい衝動にとらわれている。自分のまちを好きになれないアオイの心情は、僕自身の投影でもある。

映画の完成をいちばん楽しみにしていたのは、実家に暮らす祖母だった。その祖母が、昨冬、突然他界した。結局、映画を観ることは出来なかった。

葬儀の翌日、僕はひとり鈴鹿川沿いを歩いていた。土手のすぐ脇には、巨大な赤白の煙突が聳え、吐き出される白い煙は青空に吸い こまれて行った。僕は飽きもせずその光景を見続けた。

現れては消える煙を眺めながら、言葉にはならない様々な感情が浮かんでは消えて行った。思春期に悩んだ異性のこと。夢中になった音楽のこと。進学のこと。部活動のこと。そして、祖母のこと。その日、風は無く、澄んだ空気の中、コンビナートは斜光に赤く染まり、葦原は黄金に輝いていた。

工場の終業を知らせるサイレンが鳴った。サイレンの後に静寂が訪れ、ひとしきり野鳥の声が大きくなった気がした。

僕は空を見上げた。相変わらず白い息を吐きながら、巨大な煙突は僕を見下ろしていた。

大きく深呼吸して、さらに海に向かって歩き始めた。百メートルも歩いただろうか、僕は思わずアッと声を上げて立ち止まった。葦原から一群の黒い鳥が飛び立ち、上空を舞いはじめたのである。

鳥の名前は知らない。だが、彼らは冬になると必ずやって来た。僕が幼かった頃も、そして、おそらく祖母の若かった頃も・・・。

黒い鳥は、やがて何千、何万という群れになって、らせん状にうねりながら、天空に向って高く、高く昇っていった。深い青に無数の黒い点が溶けていくと、思いがけず、涙がこぼれた。

僕は故郷を見切ったはずだった。だが、故郷は僕を見捨ててはいない、そんな確信が持てた一日だった。

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